学校法人菊武学園 理事長 高木 弘恵
時代に応えた感動ある教育と愛情教育
学校法人菊武学園は、創立70周年を迎えさせていただきます。創設者の高木武彦学園長が、母の菊子より「女子教育に専念せよ」という遺訓を受け、名古屋市東区の小さな文房具店で鉛筆1本から資金を作り、タイピストの養成所を設立したのが本学の始まりです。
大勢の方々の努力で今では、幼稚園から大学院まで擁する総合学園に成長しました。教育を取り巻く環境は現在、大きく変化し、情報化社会やグローバル化に伴い時代の流れは速く、若者の感性や価値観は大きく変わっています。少子化により高等教育は、誰もが入学できる全入時代に突入し、学生・生徒が、学校を選ぶ時代になりました。
いかに時代のニーズに応えた、他にはない魅力ある教育を展開していくかが、学園発展の鍵になると考えています。同時に、学園の良き伝統でもある「愛情教育」は、若者の自立を促す基礎として、学園の教育活動のすみずみまで広げていく覚悟です。
実践教育の大切さ
もう一つ力を入れているのは、実践教育の拡充です。菊武学園は建学の精神にもあるように「職業教育をとおして社会で活躍できる人材育成」を目指しています。即戦力となるように、近年ではインターンシップ(就労体験)をカリキュラムに取り入れ、大学では他に例をみない3か月の長期インターンシップも実施しています。
中国や台湾など海外のいくつかの企業をはじめ、プロ野球の中日ドラゴンズやフットサルのチームなどユニークなインターンシップの契約を結び、学生にさまざまな就労体験を実践してもらう態勢を整えています。また、高校でも身近な食堂や福祉施設などのインターンシップを取り入れています。
また、名古屋産業大学は、学生が主体の株式会社を立ち上げた、文字通りの実践教育もあります。大手企業と連携し、CO2削減やLED照明の推進事業を行い、環境ビジネスの創造を担う人材の育成に努めています。文科省、経産省からも「社会人基礎力の育成・評価システム開発・実証事業プログラム」に採択された全国12大学の一つにも選ばれました。
地域との関わり
学園の取り組みとしてもう一つ、まず地域に根ざした、開けた教育活動を展開していきたいと考えています。地域・保護者・企業の方などと積極的に連携を組み、地域性を活かした特色ある教育が必要と感じています。高齢者や子育て中の世代や子どもたちと学生や教職員が、イベントや祭りを通じてふれあい、地域団結力につながる街づくりに積極的に貢献したいと考えています。
毎年実施してい「菊武夏まつり」を代表に、菊武杯愛知県中学生将棋選手権大会、各学校が地域と連携した美化運動などがあります。
あきらめずチャレンジ精神を育てる教育
学生・生徒が、たくましく社会で活躍できる実践的で専門性の高い体験授業を積極的に取り入れていきたいと思います。社会不況を乗り越える精神力や我慢する心、チャレンジ精神をしっかり身に付けてほしいのです。特に今の若者は、頑張ることから逃げてしまい、すぐにあきらめてしまう学生が多いと感じています。目標を全うでき、達成感から喜びを感じる人材を育てるためには、ふだんの教育に加え、部活動や体験授業が大変重要だと考えています。
これまで宮城県石巻市などで取り組んだ東北の復興支援活動を、今後も継続し、本学ができるボランティア活動を果たしていきたいと考えています。
菊武チャレンジ計画・改革プランの実施
財政状況の改善と生徒募集、就職や進学につながる教育レベルの向上を目指して、「菊武チャレンジ計画・改革プラン」を実施していきます。1年ごとのプランの見直し・検討はもちろんのこと、5年後、10年後の菊武学園をイメージし、計画を確実に実行していきたいと考えています。学校の中がパワーにあふれ、教職員はもちろんのこと学生・生徒も、学校に行くのが楽しみでしかたない、ワクワクする場でありたいと願っています。
それには基礎学力向上のうえに、心の成長も促せる愛情教育と、学生・生徒が主人公の視点を徹底しなければなりません。ともに泣き、ともに喜び、ともに感動でき、厳しく優しい心を育てる、それが伝統の愛情教育です。
21世紀の教育では、これまで以上に私学の果たす役割は大きくなっています。最初に申し上げたように菊武学園も、私学の活性化のために時代のニーズに合った教育プログラムを展開し、この先も伝統の愛情教育を積み重ね、「愛情教育といえば愛知の菊武」を目指し、社会に貢献していくため、教職員の方たちと一緒に努力していきたいと存じます。
創設者の言葉 前学園長 高木 武彦
菊武学園の歩み
母は昭和18年7月25日、私が18歳の時、病気のため42歳で亡くなりました。 姉1人、私1人を残し、母は心配していたようです。私は戦争を挟んで5年後の昭和23年に、菊武タイピスト養成所を立ち上げました。 菊武学園の名前の由来は母「菊子」の「菊」と、私「武彦」の「武」を取ったものです。 花の名前とよく間違われます。私は今でも亡き母のかばん持ちのつもりでいます。
私学教育に必要なことは、先生や事務職員がいかに「学生・生徒・園児達に愛情を与える」か、だと思います。 10年ほど前、本学のある用務員さんが学生のボタンを直してあげているのを見ました。 私は大変うれしく、8人の用務員さんすべてに贈り物を渡し、感謝の気持ちを表しました。 用務員さんが一丸となって愛を注ぐ姿に、ひそかに喜びを感じたものです。
昭和37年に高等学校を新設し、初代校長に古川氏を迎え10年間、頑張っていただきました。 亡くなる前に電話があり、危篤と聞き駆けつけました。「あと高校をよろしく頼む」が最後の言葉でした。 高校新設の年、学園は青年会議所の井元啓太氏の意見を聞き、従来の理事・監事の総入れ替えを行い、 名古屋財界第一線のそうそうたる人達を迎え入れました。 第1回目の入学式には、新しい理事全員が出席し、540名の生徒を迎え盛況だったことが思い出されます。
61歳の時、藍綬褒章を受章し、71歳の時、勲四等旭日小綬章を受章しました。 教育事業に携わる本来の使命は、本学園が「いい学校だな」と思われることにあると言えます。 学生・生徒の質がどうとかいう問題ではありません。その鍵を握っているのは、母の言いたかった「愛」です。
荻田嘉寿枝という和文タイピストの先生がみえました。20年以上勤められたベテランの先生です。 その方が亡くなられる前の危篤の時にも駆けつけました。他にも学園に関わり亡くなられた方々がいます。 こうした方々の法要を10年ごとに、名古屋市東区の建中寺で行っています。
本学園は現在3代目です。現在でも実際の創設者は、お袋だと思っています。昭和18年に亡くなって以来、 名古屋市・八事霊園へ毎月お参りをしています。これは私の義務だと思っています。 この母を顕彰するものとして、菊武学園では卒業式に優秀な学生・生徒に菊子賞を授与しています。 本当は全員に手渡したいという気持ちで一杯です。お袋の遺志を受け継ぎ、この学園が盛り上がり良くなるよう、頑張っていきたいと思っています。